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蔵原惟繕監督と周辺の芸術家達
- 111 :いじわるじじい:04/07/06 22:27
- 日曜日に東中野で『硝子のジョニー・野獣のように見えて』を見た。
1973年に文芸座のオールナイトで見て以来なので、31年ぶり。
正直な感想は、好きな映画だが、蔵原のなかではベストではない。
やはり、前作の『憎いあンちくしょう』がベストではないか。
画面、カメラと美術、そして芦川いづみは素晴らしいが、話はあまりすっきりしていない。
フェリーニの『道』というより、アントニオーニの『さすらい』の方が近いのではないか。
気分としてはそうだ。『さすらい』は、男がさすらうが、ここでは全員がさすらっている。
函館の競輪場、特飲街、駅等のロケが素晴らしい。日本にまだ貧乏というものがあり、
町が鉄とコンクリートではなく、すべて木で出来ていた時代の美しさ。
競輪場のスタンドも木、まわりのヨシズ張りの飲み屋、ベンチ等々も皆木。
アイジョージが、自分を捨てた恋人(桂木洋子)を探しギターを流す場末の飲み屋街は、セットだというのだからすごい。
ちゃんと道の真ん中にどぶが流れている。
この映画は、東映の『太陽の子・アイ・ジョージ』と競作だったので、通俗性を極端に否定しているように見える。
因みに、東映作品のプロデューサーは俊藤浩慈で、彼の最初の映画。
蔵原と山田信夫は、『憎い 』のように商業性、通俗性を強要されつつ、その中でどれだけ「作家性」を追求できるか、
で作品を作っていたように思える。この時期の邦画五社の監督は皆そうなのだが。
だが、皮肉なことに今日見てみると、多くは五社にいたときの方が、
独立して自分のプロダクションで作った作品よりも、いいものが多い。
恐らく、自社プロでいいものを作ったのは、大島渚と今村昌平くらいではないか。
黛の音楽が少ないのは、何故なのか。
話は変わるが、『憎い 』の北大作のモデルは、永六輔。
「今日の三面記事から」は、当時ラジオ関東で彼らが富田恵子とやっていた
現在のトーク番組の始めといえる「昨日の続き」。
「昨日の続きは、今日の続き、今日の続きは、また明日」
では、またいずれ。
裕次郎が永六輔とはね。永は、『零戦黒雲一家』では、ギャグ協力になっていた。
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